練磨の歩み
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2007年03月04日(日) 柔らかい受け
 

 4年も前のことで恐縮ですが、相半身で手刀を互いに合わせて前後に動きながら、相手を捉えたり、間合いの感覚を養う稽古をしたときです。山本先生が実際に受けを取って動いてくださったことがありました。触れるか触れないかというような実に微妙な接着で滑るように足を後ろに運ばれるのです。先生は当時七十歳になられていたと思いますが、失礼ながらご老人の動きかと思われる速さ滑らかさでした。私も移動するというだけなら何とか動けなくはなかったのですが、腰が上下にドタバタして先生にすかさず注意されました。先生は滑らかに滑るように足を運ばれるのです。真似出来ませんでした。参りました。 <(_ _)>
 先生からは、かねてより「もっと柔らかく受けを取るように」とか「山口師範の弟子は、紙が舞い落ちるような受けをとるぞ」とかご指導いただいていました。私も出来るだけ柔らかく受けを取るように心がけていました。しかし、七十歳の先生がいわば体を張って教えてくださった「柔らかい」受けというのは、私の思いの及ばない,自分の経験の中にない質のものでした。先生は、触れるか触れないかという程度の感触の接点を保ちながら、しかも、その接点を通してこちらを捉えて動かれていました。そしてそのまま転ばれるのです。こちらには抵抗感というのはありませんでした。(先生は別の機会に、受けは相手より半歩先に動くようにと言われたこともあります。)
 もう二十年近く前になると思いますが、山口清吾師範に当道場の特別講習会で一教を掛けていただいたとき、まだ私は初心者だったのですが、私の腕が山口師範の腕に触れるか触れない間に吸い込まれるようにして畳の上に抑えられてしまったのを覚えています。抵抗感はまったくなく,初心者の私は、何かわけの分からないまま自分から動いて畳の上に横たわってしまったような、失礼ながら何か狐につままれた感じがしたものでした。
 柔らかい受けを取れるようになるためには、からだが本当に自由に動けるようにならなければいけないなとやっと納得できるようになりました。(哀しいかな,やっと分かってきたときには,今度は体の方がなかなかいうことを聞いてくれない歳になってしまいました(/_;))そしてからだが自由に動けるためには心が自由でなければうまくいかないと思います。「投げてやる!」「投げてみろ!」と,心に力みがあれば、心と体は一つですから、からだにも力みが出て,その分、からだのどこかが固まり,相手に動きを読まれてしまうし,力と力の確執になると思います。実はこれも先生に日頃言われていることなのですが、自分の中である程度の体感ができて来ないと、先生の言葉が凍結状態で,自分を変えてくれる生きた言葉として解凍できないのです。分かったということは,心身が変化し,そのように動けるようになるということなのでしょう。
(T−2段 記)


2000年03月18日(土) 故山口師範と接して
 

  片手取りの技でした(先生の言葉そのままではありません)
体の内側から、足の裏よりももっと地面の底からぐっと上がってくるものを
まっすぐ上まであげて、上がったものを感じながら、まっすぐ降ろしてくるだけ。
という様なことえを言われました。感覚でしか覚えてませんが、その時は
ほんの少しですが以前よりは手を使うことをやめることができ、足を(居つくなって
言われたと思います)動かすことができた様に思います。
後は特に何の技とかいうのは覚えてないのですが、通りすがりに直接声をかけられたことは
・もう少し肩の力をぬいてください
・気軽にした方がいいですよ
・落すところはここですって丸めた手で、みぞおちのあたりをなでられたことがあります。
(ひどく重く感じました)
参加されていた方全員に説明してた時のお話ですが
みなさんは難しいことを考えすぎて何かしようとしてますが、もっと簡単なことをすれば
いいんです。上げたものは下げる、開げたものはまとめる、簡単なことほどむつかしいのですが・・・何か文章になってないかもしれませんが、この様なことを聞いたように思います。
足はいつかず、座っていてもすぐ立てるように、といいながら座って立って、立って座り
左右前後と流れるように動いてみせてくださった記憶もあります。
”右手を働かすのは左手、手を働かすのは足”っていうのも聞きました。

私直接でなし、一緒にしていた相手の男性の方に”女生とやる時は特にもっとやさしくしてください”と言われたこともあります。
確かに受けを取っても師範はきつい技はされませんでした。といってもとらえらこんでいる所はしっかりと、とらえられてましたから抵抗すればどんどん乗ってこられますが、高段者の方の受けをとる時に感じる、体へのダメージが全くないんです。

本当に最後に師範のお帰りをお見送りするのに、雨の中傘をさしかけて歩いた時に「女の人にこんなことをしてもらうのは・・・・・ヨーロッパでは男がするものです」ってそっと傘をにぎられて(結局ここは日本で、そんなことしたら私がしかられます。といって渡さなかったのですが)その時に少し触れた時の手の暖かみに加えて、何か初めて師範の雲の上の人っていうイメージから、普通の一人の人間としての暖かみを感じた様に思います。

師範の手を取った感触ですが、にぎった瞬間はとても太い手なんです。でもその瞬間に、くしゅっと縮んでなくなってしまう。空気と同化している様な、そんな気がしました。
その後は止まることはなく動かされるのですが、その時は道場中の空気が、全部自分の空気の様に思えて、その手が私の上に乗ってとらえている時は、丸太より重い気がします。
結局最後となった研修会の日の感想なのですが、稽古で見ていて感じた師範の手首が、みなさんはよく太いっておっしゃいますが、お食事の時に隣に座って真近で見ると、自分が思っていたよりもひとまわりは細く感じました。今までは思ったことがなかったのが不思議におもっていもす。
(I−3段 記 女性)


2000年03月08日(水) 合気道研修会道場について
 

皆、合気道を始めて数年から数十年と稽古を続けている者がほとんどですが、勝敗を
求めない合気道特有の力による実践武道としての疑問、<柔軟剛を制す>という言葉が
空しく聞こえる場面に壁を感じていました。
個人的、独断的な感想ですが、故山口師範に出会って、合気道の奥の深さに感動
してしまいました。
師範の技はミラクルで、マジックでした。師範に何度か受けを取らしていただいたのですが、
いつも、いつも師範の手を握った瞬間、もしくは師範に手刀で斬りかかろうとした瞬間に、
自分が師範に制せられ、師範の足もとに崩れるか、投げ飛ばされるという連続で、
どうして?なぜ?と頭が真っ白になりました。
しかし、これこそ私が求めていた合気道であると、師範の技を研究していきたいと思っています。私が現在師事している山本師範は、非常にわかりにくい山口師範の技の解法の手助けを
してくださっています。
(S−3段 記)


2000年03月08日(水) 研修会道場の門をたたいて
 

  学生時代に始めた合気道ですが、気が付けば20年付き合っていました。
当初の数年間は、合気道本来の呼吸(気)をまったくつかむことができず、力を抜かなければ
だめだと頭では思っていても、その存在なり価値を見いだすこともできずにいました。
そのため体力と技の拾得に重点を置き、それを磨くことで満足していました。
また同じ時期に、中国・四国地区学生合気道連盟の役員として、同地区の他大学との合気交流
を通してできるだけ多くの人と接し、様々な技の研究を試みたこともありました。
しかしながら体が大きく、力の強い人と接すると、どうしても体が固くなり、肩に力が入り、
技でねじ伏せざるを得ない自分の合気に疑問を感じざるを得ませんでした。
 更に、体さばきと技だけでは相手によって通じない事も多く学びました。
 ではどうすれば良いのか?
よく言われる様に、当身七割、技三割の理で良いのか?そうならば合気道と他の武道との
違いは何か?合気の呼吸は、技三割の中に含まれているとするならば、その程度の割合
なのか?合気の根底に”呼吸(気)”があるのならば、もっと大きな割合を占めていて
当然ではないのか。”呼吸”は極意そのものなので目に見える部分だけを表している
だけなのか。
 合気道とは本来力に頼らずに、自分の気と相手の気を融合し、結果宇宙と一体となるから、
絶対無限の力を得るのではないのか。
自分との自問自答の時期を何年も過ごしましたが、回答は得られませんでした。
”呼吸(気)”をつかもうと、時には木刀を何度も何度も振ってみたり、ある時は師範に
お願いして、「二千本稽古」と称する技を練る稽古で三時間ほど休憩なしで稽古したことも
ありました。さすがに長時間続けて稽古すると、終わりには力が抜けて、呼吸(気)だけで
技に打ち込むことができた様にも思いましたが、それでも本当のところは、自分でもよく
解りませんでした。呼吸(気)とは何か。
ぼんやりと解っていても、いつかは直に肌で感じ取る
ことが出来るのか?いやいつかは、この手でつかんでみるぞ!と思ってきました。
そうした状況の中、研修会道場の門をたたく機会に恵まれたのです。
見学の時は、今まで出会ってきた合気道の中でも特に動きがやわらかいなと感じました。
その反面あの動きで技が効くのかな?と言う疑問が生じたのも事実です。
ところが二回目に胴衣を着て稽古を付けてもらった時、そういった疑問はうち砕かれました。
ごくわずかな動きで何も逆らえずに”重み(気)”を感じて、倒されてしまったからです。
まさに丹田に直に”重み”が伝わり”頑張れる”世界が存在しなかったのです。
衝撃と感動が同時に襲ってきました。
”気”で相手を倒すということは、こういう事なのか!直に肌で”気”を感じ、”気”の
存在そのものを確信することが出来ました。
同時にこの”気(重み)”を何とか自分の物にしたいと心底思いました。
それにはまず頭で考えるのではなく、体で感じ、力を抜き緩め、相手の中心に向かって”重み”
を乗せることを学びました。ただその術(すべ)は、これから”気”を練る稽古を積み重ねることにより、拾得していきたいと思っています。
(M−3段 記)


2000年03月08日(水) 故山口師範の言葉を思いうかべて
 

・全身を使う、手は最後の働き
・左は右を助け右は左を助け。相生相克の関係ですね。
・剣先をしっかり
・手を抜かないでしっかり足、ひざを使って
・しっかり立つ、しっかり座る。
・ひねりながら膝行しない。スッと立てる様に
・もっても、もたれても同じなんです。
・凝解ですよ
・表裏一体の位置に(立つ 攻める)
・もっとのびのびと
・手を足の内側外側にずらす様に、そうようにして、体の芯を使う。
・圧倒的に勝つと同時に働かせながら勝つそして相手の中心に座していく。
・足もとで見る、目で見るんですが気持ちがそこ。
・足もとを照らす、とか足もとが明るいという様に足もとが暗いと気がおぼつかない。
 足もとがおぼつかない。
・おしりで動かない、腹から動く、腹から出る様な気持ち
・押さえの変化は色々できるんです。それよりも中心を突く、とらえる練習を
 (相手の動きに応じて)
・重い剣を軽く、軽い剣を重く
・もっと肩をほぐすように
・点で接する
・突いて返す
・足もとをはね上げる(回転投げ)
・足もとから完全に攻める
・丹田に気合いを集中させて
・相手の腹から起きれないところを攻める
・手をとってするのが合気道というのではなく・・・
・体の力を完全に抜くんです。気合を中心にしっかりして・・・
・抜刀を追っつけていく様な、剣を使うのと同じ様な感じで使う。
・どこを触れても中心を押さえる
・腹から気合いを集中させ体をほぐし、だんだん自分の持てる力を出す。
・気合いがだんだん腹にまとまる様な気持ち、まず体をほぐして
 気合いがだんだん腹にまとまる様に
・気合いだけ丹田にしっかり
・剣先はしっかり真直ぐにして
・(力が)抜けてくるということは完全に使えるようにということです。
・柔にして剛
・どっかにかたまりがあるとそれが自分をじゃまする。だから取り去る。
 あとはスピードと気合い。

(H-4段 記)  



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