初心者記

<初心者記> もどる


2007年03月04日(日) 行うは難しなり
 

習い事で上達するコツは、師匠から教えられたことを素直に忠実に真似ることです。これまでの経験から、そう理解してはいるのですが「言うは易し行うは難し」ということを稽古の毎に痛感しています。
 最近も「自分の持っているものをいったん忘れて学んでいけば仮に自分が百Wの電球だったら、それが2百W、3百Wの輝きを出すようになれるんだ。」と先生からご指導頂きました。そのずっと前には「素直に聴くようにしなさい」という趣旨のことを言われたこともあります。
 通常稽古では、先生は、その日その日に、いくつかのポイントを定め、系統だった指導をされます。たとえ一教、小手返し、四方投げ、呼吸投げと言っても、そのときの指導ポイントがあり、足運び、からだの捌き、手の動きと段階をおって指導されます。先生は、よく手はあってもなくてもいいんだとか、手を使おうとするなと指導されます。手先だけでは腕力の世界になってしまい、先生の指導されている合気道ではなくなるからです。いかに自由にからだ全体を相手の動きに応じて動かせるかが肝心なところで、自分が固まらずしかるべき動きをすれば相手は自ずから崩れると先生は実演してくださいます。今日初めて入門した者も何年稽古している者も同じです。見える動きをある程度なぞれるようになっても、見えない動きがあります。
 今日の稽古では、先生はここにポイントを置いて系統立てて指導されているのだなと一応理解できるようになり、自分なりに、そのポイントに沿って稽古しようと努められるようにやっとなれてきたように思います。その私の「努めている」程度が、実際にどの程度なのかは、先ほどの先生のお言葉を聞けば明らかです。恥ずかしい話ですが。
 もっとも自分のことは見えないのですが、他人の様子はよく見えるものです。先生は、門下生に、実際にやって見せて、言って聞かせて、やらせて、門下生の出来ていない修正すべきところを個別に、あるいは稽古を止めて皆に指導されます。しかし、初心者は見ていても見えず、聞いても聞こえないことが多く、中級者は見ても自分の見方でしか見ず、聞いても自分の解釈を聞いていることが多いように思えます。たとえ先生の指示されたことを理解できても、からだの方がいうことをきいてくれないこともよくあります。
 仕手が受け手に作用させる過程は、例えて言えばニュートン力学に対する量子力学のようなものだと先生は言われます。粒子が波動となって伝わってゆき、また粒子になるようなものだそうです。知識はないのですが、量子力学はニュートン力学の延長線上にはないと思われます。思想体系の転換が必要でしょう。同じように先生の指導してくださっているものを会得するためには、常識的な身体力学を超えた思考体系や身体感覚を養わなければならないように思います。稽古で「錬る」というのは、技を磨き、動けるからだを作るということでしようが、からだの動きを規定している潜在意識の変容がその表裏となっているように思えます。
 一方先生は、腕力を超えた合気道は決して摩訶不思議でも神秘的なものでもなく、単純で当たり前のことなのだとよく言われます。例えばコップの酒を口元にもってきて飲み干すようなものだし、相手の口元に運ぶようなものだ、又は赤ちゃんを抱き上げるようなものだ、中心を外して動作しないだろ、重い荷物を担いで運ぶときは自然にからだの中心で担ぐだろうと言われます。それが一番楽に無駄なくできるからです。
 「道を外れないように」と先生は稽古生に注意されます。先生の直接の手取足取りのご指導は本当に有り難いことです。このご指導がなければ常識的な身体力学(腕力)を超えた世界を自らの心身で体験することは出来ませんでした。また、先生の直接のご指導がなければ、自分がどれだけ「道を外さない」よう努めたとしても、次の瞬間には道から外れ、そのことに気付くことすら難しいと思います。何が道なのか知らない自分がどうして道の上を歩むことができるでしょうか。感謝です。
(K−1級記 男性)


2007年03月04日(日) 投げよう」を卒業することの難しさ
 

● 真正直に相手に対すること。
● 上半身の力だけ抜いても相手を動かせるが、相手は生きたままだ。ぶった斬ることはできない。
● まやかしをしないように。
● 縦軸(中心軸・正中線)横軸(体側の線)をしっかりと。
● 自分の中心で受けを取るように。
● 腰を引かないように。
● 居つかないように。
● どこも自分のからだに固まったところがないように。(固まったところがあると、相手はそこを突いてくる)
● 柔らかいけど一塊りになって動くこと。
● 投げようとするな。(投げようとすると自分の体が固まるし相手が反発してくる。)
● 自分が斬られる場所に自分の身を置くように。
● 自分が受け身を取れる位置で技を掛けるように。
● 赤ちゃんを抱いているように。
● 相手が自分の「姿勢」を教えてくれている。
 以上は、山本先生からご指導いただいていることの断片です。(ただし、言葉そのものは先生が実際言われた言葉とは少し違っていますし、取り違えしていることもあると思いますが、ご容赦ください。)
 私は「投げよう」とする発想を卒業した稽古をしたいと願っていますが、現実的にその心境、技量に達するにはまだまだです。稽古でうまく受け手が崩れないと、ついつい無理に「投げよう」として、先生から「投げようとしている」とか「(力が相手と)ぶつかっている」と指摘され、無意識、反射的に何とか相手を「投げよう」と力んだり、小手先の「技術」に走ったり、「投げる」ことに囚われて無理をしようとしている自分に気付かされることがしょっちゅうです。
 先生は小手先の「技術」に走って「投げている」とそこで成長は止まるし、体の大きな腕力の強い人が相手では技は効かないと言われます。そうなっては合気道を稽古する甲斐がなくなってしまいます。
 私が先生に再び入門させていただいたのは五十歳を目前にして体力の衰えを何とかしたかったのが切っ掛けですが、スポーツや勝敗を競う格闘技とは異質の合気道の奥深さに魅せられて稽古に通っています。
 先生にご指導いただき縦軸(中心軸・正中線)横軸(体側の線)を心気体の現実を通じて練っていく過程で、人間のもつ可能性を磨き、人間の尊厳性の輝きに触れることができれば有り難いと願っています。
(K−1級記 男性)


2003年06月07日(土) 弟子
 

弟子と言う言葉を調べると「先生から教えを受ける人、その教えを伝授する人」という意味が出てくる。自分がそれからずっと合気道をしていき、弟子となることができるんやろか?問題は、その教えを伝授するという所が・・・。合気道をしている、したことがある人ならわかると思うのですが1つの技を見ているのと実際にするのとでは雲泥の開きがあることに気づくはずです。見ている時は「これやったら出来そうやな」と思いしてみるとなかなか先生のようにいかずあれやこれやと考えるともっとわからなくなる時があります。山本先生の言葉に「今は出来なくても、一生真面目にしていたら何かわかるんとちゃうか?」と言われた事があります。自分としては「今は出来なくても一生という時間をかけてすればいいんや」と思い、気持ちが少し楽になりましたがここで1つ問題が発生!!
山本先生はいったい何歳まで私たちに教えていくことができるんやろか?。後20年くらいは、いやいや30年は大丈夫ですよね?先生!!。そして研修会の皆さん、覚えの悪い私ですがこれからもご指導のほど宜しくお願い致します。
(K-1級記 男性)


2002年11月01日(金) 合気道を始めて
 

自分は、小学校の頃に映画で見たブルース・リーに憧れて以来、格闘技全般が好きで、テレビや本など見て、自分もやりたいと、思うようになり、始めたのが空手でした。寸止めやフルコンタクトも稽古してきましたが、いろいろな事情で空手をやめなければならなくなり、それから10年、38歳になり、やっぱり自分は武道が好きなので何かやれないか?と思うようになりインターネットで研修会のことを知りました。合気道に関しては、なにかの本で力を使わないとか、身体が不自由な方が一生懸命稽古に励み何年か後に、普通に歩けるぐらいまでになったということを読み、自分も空手をやめる原因の一つになった膝の故障も武道をやりながらにして治るのではないかというのがそもそものきっかけでした。
見学の時から、稽古に参加させてもらい大変おもしろく感動したのと、みなさんの人柄の良さに惹かれ、すぐ入門させていただきました。そして膝行や、座技など膝に負担のかかる稽古に苦労しながらも(まだ未熟なので、脚に負担をかけている。中心の移動で脚に負担をかけず立ったり座ったりできるようになるらしい)あっという間に9ヶ月が過ぎ、4級の昇級試験を受けさせていただきました。
今まで稽古してきて感じたことは「武道を稽古している」と思うことです。合気道を稽古しているうちに今まで私が稽古していた空手の道場は、競技用の練習が主だったことを痛感しました。(たまたま私が稽古していた道場がそうであったのですべての空手道場という意味ではない、そして競技用の練習を非難している訳でもない。それはそれで得るものも多く大切なことだと思います。)今までは、立つこと、座ることの深い意味などは言われたことはなく、居着くことの悪さなど、武道の基本のどうしてそうなのか、そういう動きなのか、の本当の意味を知らなかったことにショックを受けました。今までの空手の稽古が無駄なわけでもないが、このようなことを知っていれば稽古の仕方、意識のあり方などすごく変わったかと思います。そしてなによりも研修会にきて、稽古に対する恐怖(怪我などの)がなくなったことにびっくりしています。当然武道ですからその危険がないわけではないですが、山本先生をはじめ先輩方が相手を痛める事が目的ではなく、相手に気づかれる前に、それをわからないうちに無力化し、反撃できないよう制する事に重点をおき稽古、指導されていだと思います。実際、先生に投げられるとまだ受身の未熟な私でも痛くなく、またどうしてどうやって投げられたかわからず、ただ笑うしかないという感じです。
 研修会のいいところは、山本先生が、ただ決まった技を教えるだけでなく、どうやったら、より早く、よりシンプルに技がかけられるか、そしてそれをどう説明すれば、稽古生達が理解できるかを非常に考え、山本先生御自身も、教え方もどんどん進化していることだと思います。先輩方もなんの驕りもなく謙虚な方達ばかりで大変話しやすく、丁寧に教えてくれる優しく頼りがいのある人達ばかりです。そんな山本先生やみなさんに支えられて今回4級に昇級させて頂き、本当にありがとうございました。それからも精進を重ね切磋琢磨して稽古に励んでいきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
(K-4級記 男性)


2002年03月12日(火) 大阪研修会で稽古を始めて
 

「いいから、思いっきり掴んでみなさい。」どう見ても倍以上年の離れた小柄なお爺さん(失礼!) は、私に腕を掴ませたままこう言い放ちました。私の合気道はこの言葉から始まりました。「いくら何でも本気で掴めば痛いですよ。」 こちらは学生時代ウェイトトレーニングに励んでいましたし、年の差もありますので遠慮しながら半分位の力で掴むと、「まだ(力は)出るじゃろ。」とニコニコしておられます。「そこまでおっしゃるなら…、失敬!!!」と力を込めたとたん、我が身が宙に浮き一回転して背中から畳に落ちていました。 足払いとか払い腰などの技を掛けられた跡もなく、落ちた背中以外に痛いところもありません。そのお爺さん、もとい、山本先生を見上げると、元の場所で同じくニコニコしておられます。
「すみません。もう一度よろしいですか?」「いいよ何度でも。両手でもいいよ。」今度は最初から本気で掴みかかります。好きなだけ掴ませてから先生がゆっくりと方向を変えると、こちらがしゃがみ込む格好になっていました。「このまま歩くとついてくる…」こちらが先生の腕を掴んでいるはずなのに、中腰のまま先生にぶら下がってついて行かざるを得ません。傍から見ると「手を離せば逃げられるのに。」と思われますが、自分でもそう思うのに離すに離せないのです。
前者が呼吸投げ、後者が転換という名前の技というのは入門後知りましたが、山本先生に多様な技で投げて(=崩される)頂く度、不思議の度合いは増していきます。ひとつには投げられているのにどこも痛くない(無理がない)という点です。(受身が未熟で背中から落ちる場合を除く)。 入門する前は「合気道では逆関節を取って投げるから、投げられる方は自分から飛ばざるをえないのだろう。」と思っていましたが、研修会では逆関節は取らず、関節は曲がる方向にしか曲げません。先生に投げられると痛いどころか、あまりの滑らかさ心地よさに思わず笑いがこみ上げてきます。
また、稽古生同士で”取り”の稽古していると、どうしても思うように技がかかりません。そんな時は先生が見本を見せて下さいます。早速真似てみますがいくら形を真似ても動きを構成している理合が違うので当然うまく行きません。先生は見かねて私の腰や肩をポンポンと修正し「力を抜いて手は円そうにしなさい」と指導されます。すると”受け”が足元でもがいているのです。
このように毎回面白く楽しく稽古していますが、最近はこの不思議な技の理合を考えるようになりました。先生は、立ち姿が一番大切と説かれ、剣の理合、正中線、意識の持ち方、間合いの取り方、足の運び方など初心者に理解出来る様、本当に解り易く工夫して説明下さいます。そこには山本先生の「相手に理解させるだけでなく、体現させるのが指導者の役割」という信念があります。
また、一緒に稽古している先輩や仲間の方も、とても礼儀正しくまじめに合気道に取り組んでおり、非常に恵まれた環境で稽古させてもらっていると感謝しております。合気道の奥の深さは、まだまだうかがい知ることも出来ませんが、この環境で稽古を続けて行ければと願っております。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
(M-5級記 男性)


2000年07月24日(月) 合気道を始めて
 

僕が合気道を始めたのは、それはそれは簡単な理由からでした。「履歴書の特技の欄に何も書くことがない。」という・・・・・。もう大学4年生の僕は、この今までの大学生活を振り返り、色々なことをしてきたつもりではあるが、何か物足りなさを感じていました。そこで視野を広げるつもりで武道という全く未知の分野にチャレンジしてみることにし、力の無い人でも簡単に出来るという合気道を始めることにしました。
合気道を始めてからというもの僕自身にとって様々な変化がありました。その一つとして、稽古を通じての世代を超えた様々な人との出会いは、僕の人生において大変プラスになりました。合気道にまつわる興味深い話の数々、そして人生の先輩として社会の厳しさなども教わりました。そんな中、山本先生や瀧田先生との出会いは衝撃的でした。合気道とは決して相手を痛めつけたり、傷つけたりする武道ではないという教えは、合気道をやる上で僕の根底にある考えになりました。
そのような先生の方々との合気道を中心とした生活は大変充実していて、毎日が楽しく面白い。今までのマイナス思考が全てプラス思考になり、体を動かすのでストレスも溜まらなくなりました。
このように素晴らしい合気道でも、僕の親は「お前は洗脳されている」とか言ってあまりいい印象を持たなかった様ですが、そんな親に僕がした説明として、お金や財産は誰にでも遺せるけれども、合気道の技はそれを教わった人にしか遺せない。つまり合気道も一つの立派な財産なのであり、僕は自分の親や他の人よりも後世に遺せるものが一つ多いということになる。それゆえ僕はただ忠実に先生の教えを受け継ぎ、合気道を後世に伝えられたら素晴らしいとさえ思うのである。
合気道を始めてまだ6ヶ月ですが、いまでは本当に合気道に出会えて良かったと思っています。
(A−4級 記)


2000年06月17日(土) 合気道の練習を振り返って
 

私が合気道を始めたきっかけは、合気道というのは非力な者や女性の方に適した合理的な武道であるという概念や、小柄な者が大男を相手に投げ飛ばすことや、技を掛けたり関節をきめたりといったような、憧れのような魅力を感じたからだと思います。それ故に以前から漠然と合気道を始めたい思っており、私の通勤の途中に某道場があり、見学する機会があったので一度足を運び見学してみました。皆、楽しそうに愉快に稽古しているのを見て自分が思っていた程、殺伐とした雰囲気などなかったので、これなら楽しく出来ると思い、某道場に入会したのが始まりでした。
 7月の始めに入会し、最初の2ヶ月間は受け身や膝行ばかりみっちり練習し、9月頃から有段者と一緒に練習することになりました。そこで、色々な有段者の方々と練習しているうちに、始めは技とはこういう流れで構成されているのか、とか何故こんな動きで技を掛けることが出来るのだろうか、と新鮮な気持ちでした。ところが毎回稽古しているうちに段々といろんな疑問が生じてきました。外見からだと皆同じことをやっているように見えるのですが、自分も見よう見まねで同じ事をやって稽古していると、うまく出来なかったのです。というのは、やはり力のある者は相手を崩したり出来ても、私のような非力な者や女性の方などは到底まねの出来ない事だったのです。又、技を掛けられたり関節をきめられた場合も、ただただ痛いばかりでした。強引さばかりで結局、私のような非力な者は何も出来ずに終わってしまいました。更に崩れてもいないのに、崩れたふりをしたり、技が掛かったような白々しい申し合わせた稽古ばかりをして、ひたすらに汗だけは流すといった稽古に毎回明け暮れることが無駄に思えてきたので、一時は合気道をやめようと真剣に悩んだ時期もありました。
 その頃、知り合いに紹介してもらい、研修会道場へ入会し、現在に至っております。この研修会道場では、また違った新鮮さを感じました。研修会道場の先生方と稽古すると、こちらがどんなに力を入れようが、踏ん張ろうが、全く力と力がぶつからずに、いとも簡単にいつの間にかこちらが崩れており、なおかつ身動きがとれない状態になっているのです。この時から私は、合気道をやめるのを考え直すと同時に、やはりすごい技が出来る方は実際にいるのだなぁと感心させられたと同時に、合気道の魅力を見直したような気がしました。
 私は、合気道というのは、やり方が皆一様だと思っていました。研修会に入会してそれが違うことに気がつきました。まず始めに大切な事は、体の練り上げから入り、相手との位置関係や足の運びなど、今まで教わった事のない地道な作業の積み重ねを経て、体を造り修正していくこの過程こそが、大切な要素であることに最近気づきました。今までの練習を振り返って見ると。相手を制してやろうとか、投げようといった気持ちが先行し素直な練習が出来なかったように思えます。最近少しづつ何となく先生方がおっしゃられている事が理解出来るようになってきたような気がします。これからは、自分に素直な気持ちで、地道に稽古に励みたいと思います。
 先生方、稽古生の皆様方、これからもご指導の程よろしくお願いいたします。
(I−4級 記)


2000年03月24日(金) 合気道を始めて・・・
 

合気道を始めて、約7ヶ月になります。
何か武道をはじめたいと思って、いろいろと道場を訪ねていた頃に、私の知人からこちらの研修会道場の山本先生のことを聞きました。
彼が初めて研修会道場を訪ねた時、山本先生に「ちょっと指を持ってみなさい」と言われて指をにぎったら、いとも簡単に投げられ、動けなくされてしまったそうです。長年武道にたずさわり今も現役で活躍している彼が ”達人と言える人に初めてあった”と言っていました。
その話しを聞いて、私はたいへん興味を持ち、山本先生を訪ねました。
道場を訪ねると、小柄な年配の男性が、剣を振ってらっしゃいました。とても彼を指一 本で投げ飛ばした人とは、思えませんでした。私をみると、きさくにニコニコと笑顔で道場に招いてくださり、さっそく体験させてくださいました。
合気道はまったく初めてでしたので、まず簡単な受け身の取り方を教えていただきました。さしだされた先生の手を取ると、なぜだか解らないうちに自然と自分が、こかされてしまい、大変不思議に感じました。何度やってみても、痛みも抵抗感も何もなく自然とこかされてしまいます。あまりの不思議な感じに、笑うしかなかったのを今でも覚えています。「こんなことは誰にでもできるんだよ」と先生も笑ってらっしゃいました。
そのあと、まず体の力を抜く事や、基本の立ち方、座り方、歩き方や足さばき、剣の振り方と、基本をきっちりと、ご指導いただきました。なかなか、そのように基本をご指導していただける所は少なく、でも、絶対はずしてはならないことだと思っていましたので、ここなら間違いないと思って、入会させていただきました。
以来、毎回山本先生の稽古に出席させて頂いておりますが、いつもとても充実した内容で勉強せていただいております。また山本先生の合気道は、大自然の流れや宇宙の法則など、人間の力など及ばないところの流れの中にあるような感じがしております。自分もそのような流れの中で生きていけるようになれたら…と思っております。
始めたばかりで、合気道の奥の深さはまだまだ解っておりませんんが、これからも稽古に励んでいきたいと思っています。
又、一つの事に自分が打ち込み、集中し、成長して行ける事は大変すばらしいことだと思っております。その場をいただいた事にとても感謝しております。ありがとうございます。
山本先生、諸先輩方、研修会道場の仲間の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
(H−5級 記 女性)



WhatsNew by Terra